借金解決事務センター | 小田原の行政書士事務所「矢口総合事務所」

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債務者救済という名による被害

【債務者救済という名による被害】
最近は、借金関係の図書やHPが多く見受けられ、債務者救済のために発表されています。しかし、その影響により新たに債務者を誕生させたり、その他の被害を生じさせていることをご存知でしょうか?
以下の疑問に感じるものについて、あえていくつか検討してみたいと思います。
・サラ金被害者という言い方
・ヤミ金からの借入は不法原因給付だから返さない
・借金は返すな 財産はこうして隠せ
・自宅は死守しろ

サラ金被害者という言い方

債務者は本当に被害者なのでしょうか?被害者というからには加害者は一体誰ですか?金を貸した方なのでしょうか?金を貸したのに返してもらえない方が被害者なのでは?
債務者は借金する際に連帯保証人をつけていないでしょうか。現金を手にしてもいないのに他人の借金を支払わされる連帯保証人こそ被害者でしょう。そうなれば債務者は被害者ではなく加害者でしょう。 見透いた言い訳や嘘をついたり逃げ回ってばかりいれば、債権者がうるさく催促してくるのは暴力など不当な手段でない限りはある程度やむを得ないでしょう。

むしろ「自分は被害者だ」という被害者意識を持ち、問題のすり替えや責任転嫁する姿勢こそが問題なのでは?
実際に借金の申込みをして金を受け取っておきながら、それを返さない自分に責任があるということを自覚しない限りは本質的な解決はないのでは?と思います。 ※金利は払うものなので別問題

ヤミ金からの借り入れは不法原因給付だから返さない

返す気もなく、また返せる状況も能力もないのに借りれば詐欺となります。ヤミ金は犯罪であるから「不法原因給付」となり返済義務はないといいます。しかしヤミ金の貸金業法違反(無登録営業)は5年以下の懲役若しくは1千万円(法人の場合は1億円)以下の罰金、出資法違反(高金利)は5年以下の懲役若しくは1千万円(法人の場合は3千万円)以下の罰金と、いずれも行政法違反です。
かたや詐欺罪は刑法犯であり、10年以下の懲役となります。行政法違反と刑法犯とではどちらが犯情が重いでしょうか?

クリーンハンドの法則(法を遵守する者だけが法の保護を受けることができる)や、双方に不法の点がある場合には、民法90条及び民法708条の規定は適用がないという判例(下記参照)も参考になるのでは?

消費賃借成立のいきさつに不法の点があつた場合における貸金返還請求と民法第90条および第708条の適用の有無(最判昭29.8.31民集8-8-1557)
消費賃借成立のいきさつにおいて、貸主の側に多少の不法があつたとしても、借主の側にも不法の点があり、前者の不法性が後者のそれに比しきわめて微弱なものに過ぎない場合には、民法第90条および第708条は適用がなく、貸主は貸金の返還を請求することができるものと解するのを相当とする
※民法第90条(公序良俗違反)
 公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。
※民法第708条(不法原因給付)
 不法な原因のために給付をした者は、その給付したものの返還を請求することができない。

つまりは相手があきらめるという事実上の効果があるだけにすぎないのです。そもそもは借りなければよい。もし借りたのならば元金だけは返すべきではないでしょうか。決してヤミ金擁護しているのではありませんが、現実にこれを利用した詐欺が増えているということをどう思いますか?それでもこの詐欺師が被害者なのでしょうか?

借金は返すな。財産はこうして隠せ

「借金は返さない」のと「借金を返せない」のとでは雲泥の差があります。借金を「返せない」というのは返済意志があり、返済すべく努力はしたがどうにもこうにもならなくなったという状況にあるもので、こうなったときは卑屈になることなく堂々と借金整理を行いましょう。あらゆる方法でも解決できないときには粛々と自己破産をすればよいのです。
これに対して借金は「返さない」というのは、状況によっては犯罪にもなります。「借金は純粋に民事だから」という論調もありますが、必ずしもそうではなく刑事事件になることもあるのです。
「借りるときは返す気があったのだから詐欺ではない」というのも、一見正論に聞こえる。
「騙す気はなかった」「殺す気はなかった」「盗む気はなかった」などというのは犯罪者の決まり文句で「盗人にも三分の理あり」です。
客観的に見て、返せる状況になく、返済能力もなく、返す具体的なあてもなく、返そうともしなければそれでも「返す気があった」といえるのでしょうか。ではどうやって返すつもりだったのでしょう?
ましてや「借金は返さない」「財産は隠せ」では?

強制執行制度の不備は以前から指摘されていましたが、その実態は隠されてきました。
金を払わなければ訴えられて裁判になり、差し押えを受けるという「意識」があることによって裁判の信頼性が今までは保たれてきたのです。
ところが「借金は返すな。こうして財産を隠せ」と様々なHPや書籍などで手口を公表したために、あらゆる場面で金を払わなくなってきている。
その影響なのか「払わなくても怖くないし、恥ずかしくもない」という考えをする人が増えている。借金は当然返さない。買物しても代金を払わない。買掛金も払わない・・・
「人をみたらは泥棒と思え」とばかりに、回収ばかりを考えて行動している。零細企業は企業活動に影響が出て資金繰りがますます苦しくなってきているのです。
銀行は貸剥がしや預金封鎖を当然のように行い、借金もないのに法人の預金口座開設(しかも普通預金)すらもなかなかできない。ましてや借入れなどは「もってのほか」という状況になってきている。
その結果、零細企業はますます追いつめられて倒産に追い込まれ、経営者も従業員も多重債務者の坂道をまっしぐらに落ちてゆく。

自宅は死守しろ

「自宅は心の支えであるので死守しろ。そのためにはあらゆる手段をとれ」という人もいますが、これはあまりにも身勝手な理屈ではないでしょうか。
踏み倒された債権者や、借金を負わされた連帯保証人のことを少しでも考えているのでしょうか。借金を踏み倒した後も相変わらず同じ家に住んでいるのを見たときに彼らは納得するでしょうか。住宅にこだわった結果、多重債務者になったというケースも多いのです。
マイホームは人生で最大の買い物であったかもしれませんが、見栄を捨てて借家住まいでも良いでは。むしろ借金を返すために最大限の努力をしたということを目に見える形で表すためにも自宅は早期に手放した方が良いのではないでしょうか。その方が債権者達も諦めがつきやすいでしょう。変わらず同じ自宅に住んでいれば、自宅を売って借金返せといいたくなるのが人情でしょう。また、手放したことによって再出発の決意もできるし、立ち直れるでしょう。
そうやって残した夢のマイホームも、相続争いの種になったり国に取られたりするようなことが起きないとは限らないのです。

姑息な手段で自宅や財産を確保できたとしても、最も大事な「信用」は取り戻せないのです。
正当な理由で堂々と借金問題を解決して人生の再スタートを歩んでいきましょう。

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